2010/01/13
運のいい人間とつき合え
(大和ハウス創業者 石橋信夫)

 週刊文春に連載されていた、「石橋信夫という生き方」を、私は毎週楽しみに読んでいました。
 
執筆者は、現・大和ハウス工業会長の樋口武男氏。

 石橋信夫という人は大和ハウス創業者で、現会長の樋口氏に薫陶(くんとう)を与えた、名経営者です。
 私の従兄弟(いとこ)も、大和ハウスの地方の支店長をしているので、余計親しみを感じてもいました。

 2010年1月14日の第56回を最終回に、この連載は終了しましたが、随所でいい事言うなぁ、と思ったものでした。

 私の言っている事と同じ事を、石橋信夫という人は彼自身の豊富な人生体験からポロッと語るのですね。

 第50話では、樋口会長がこんな追憶を書いています。

 「大和ハウスの創業者・石橋信夫はよく、『私は運がよかった』としみじみ述懐し、『樋口くん、人間、つまるところ運やで。キミも運のいい人とつき合え」 と言い聞かされたものだ。
 “運まかせ”の、のらくら人間が言うのなら、わかる。だが、一代で1兆円企業を育て上げた、超人的な努力の人の口から『運』という言葉が出ると、びっくりする。

・・・・・・・・中略・・・・・・・・

 『樋口くん、運のいい人間とつき合え。運の悪い人間とつき合うと、運を取られるで』

 私は折にふれ、創業者と禅問答を交わすつもりで、この言葉と向き合ってみるのである」
(週刊文春1009.12.3号より)

 ここでは詳しい内容は省くことにしますが、読んでいて分かることは、この創業者は、精一杯、努力に努力を重ねて行った先に、最後は運だ・・・という事を感じずにはいられない体験を幾度もしている、という事です。
 こんな話も創業者は語っている。
 戦時中は陸軍少尉として満州(現在の中国東北部)で演習中に、速射砲を積んだ馬ソリの直撃を受けて脊髄損傷、下半身麻痺の重症を負い、寝たきりの1年半を送る。その入院中、ひそかに自決を考えている時に、名軍医との運命的な出会いによって回復。

 一方、その入院していた間に、所属部隊はグアム、レイテ島に転進し、大半が戦死してしまった・・・、など。もし入院していなかったら、石橋氏も戦死していた可能性が大だった。などなど。
 確かにこれも運です。

 あなたも、今の立場が苦しくとも、長い人生においては とてもいい場所に居るのかもしれません。
 「塞翁(さいおう)が馬」 です。

 という事で今回は、運にまつわる話を ご紹介しました。

P.S.運のいい人と付き合おう・・・については、私の『人生は三度チャンスがやって来る』(創文刊)の中で、詳しく話しています。
 また、運命がうまくいかなくて先が見えない・・・という人は、私の『あせってはいけない!』(創文刊)の第十一章「不運を幸運に変えてしまう魔法の言葉」 で解決法を紹介しています。
ご参照ください。

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