2012/06/01
運のいい人は、人から愛されている
運がいい長嶋茂雄氏の、運の研究の続編です。
長嶋茂雄氏が、自分ひとりでやる場面の多い、いわば個人競技ともいえる野球においては、しっかり練習すればスランプはない!と言えるも、読売巨人の監督に就任してからの長嶋監督は、運に見放されたような場面が多く見られるようになりました。
優勝もなかなか出来ない。
自分一人出頑張っても、優勝は出来ないからです。やはり運が影響してくる。
そうなってくると、いい人材に巡り合い、選手が活躍して勝つとか、その他もろもろの要因が勝ち負けに絡んできます。だから「運」が大切になる。
低迷していた長嶋巨人が、11.5ゲーム差をひっくり返して優勝したメークドラマには、妻・亜希子さんの祈りがあった
今日はここで、巨人軍・長嶋監督の1995年のリーグ優勝の裏側を覗いてみましょう。
「メークドラマ」は1995年に低迷する巨人が、シーズンは中盤まで首位が広島東洋カープで、巨人は首位に最大11.5ゲーム差をつけられていたが、11ゲーム差で迎えた7月9日の対広島東洋カープ戦(札幌市円山球場)で、2回2死走者なしから9者連続安打で一挙7点を奪って勝ったのを機に、巨人の快進撃が始まった。
7月16日の対中日ドラゴンズ戦でチーム40勝を達成、その後もゲーム差を縮めていき、100試合目で首位に立った。
10月6日の対中日ドラゴンズ25回戦(ナゴヤ球場)で勝利し、巨人のリーグ優勝が決まった。
11.5ゲーム差をひっくり返し、ここに「メークドラマ」が完成した。
それで、私はこんな話を知っています。
長嶋監督の奥さんは、亜希子さん(2007年没)といいます。
長嶋亜希子さん・・・
本名西村亜希子。1964年・第18回オリンピック東京大会では堪能な外国語を駆使してコンパニオンとして活躍。
その際、報知新聞主催の対談で当時巨人の三塁手だった長嶋茂雄が一目ぼれをし、1965年わずか4ヶ月目で結婚。茂雄29歳、亜希子22歳だった。2男・2女をもうけるなど、家族円満の生活を送った。
享年64歳。
亜希子さんは、信心深い所があり、夫である長嶋監督が優勝できるように、しょっちゅう神社にお参りに行っていらっしゃったのでした。
当時、私のよく知る女性Aさんが、関東にある、某神社にお参りに行くと、友人と参拝に来ていた亜希子さんの姿があったという。
それでAさんが、「長嶋茂雄とサインしてください」、とお願いすると、
「どうして私が茂雄さんのサインをしなくてはならないの?」と言って、笑いながらサインをしてくれたと言っていました。
その後も(亜希子さんを)何度も神社で見かけた、という話を聞きました。
時はメークドラマの起こった年のことです。
他に聞いた話でも、「亜希子さんの祈りで、今年は勝ち続けているのよ」、と連れだった友人が、他の人に語っていたのを聞いた、という人もいました。
長嶋茂雄氏の活躍の陰に、妻・亜希子さんの祈りがあったという事は、言うまでもないでしょう。
運のいい男性は、妻から運の補給を受けている、というケースがよくあります。
運の補給は、人から愛されている、人から祈られている、ということでも達成されます。
という事で、特別運のいい人には、やはり運のいい秘密があるのです。