2014/8/3
衣笠選手が卒業文集に書いたこと
スポーツ新聞の“ある記事”に目が止まる
今日、駅の売店でスポーツ新聞を買い、電車の中で読んでいると、面白い記事に目が止まりました。
それは、「我が道」という各界のスター選手たちの人生が連載されているコーナ―で、今日は、元プロ野球選手の衣笠祥雄氏の第3話でした。
一部の男性の方は、既にお読みになった方もあるでしょう。
しかし、まだお読みになっていない方が多い(特に女性の方はほとんど)と思いますので、ここでご紹介します。
小学校の卒業文集に、
自分が目指している事と違う未来を書いた
そこには、こんな記事がありました。
小学校卒業時まで、柔道一直線だった衣笠氏が、小学校の卒業文集にこう書いたのでした。
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「足腰を鍛えて、平安高校に入り、プロ野球選手になる」
気持ちは柔道一直線で、講道館の黒帯を目指していた自分が、どうしてこんなことを書いたのかいまだに分からない。
(スポニチ 2014.8.3 「我が道」より)
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潜在意識は、野球による未来の活躍を知っていた
このように衣笠少年が、(小学校の卒業文集に)思いもしない未来を書いたのは、潜在意識が未来の活躍を知っていたから、といえます。
その後、中学に進学して、小学校時代から続けていた柔道部に入ろうとした衣笠氏は、愕然とすることにぶち当たるのでした。
ナント、その年から柔道部が廃部になったというのです。
「ショックだったが、柔道部がないなら他の部活を決めなきゃいけない。たまたま引っ掛かったのが野球だった」 (衣笠氏 談)
でも野球部に入っても最初の内は、
「なんで野球なんか選んだんだろう。悔やんだ。辞めたいと思ったが、学校の中で監督や先輩と毎日顔を合わせる。それを考えたら、怖くて言えなかった」(衣笠氏 談)
といいますから、人生分からないものです。
でも、野球をやるように運命が彼を追い込んで行った、と感じます。
それでは最後に、その衣笠氏の活躍を、プロフィールと共に、ご紹介しておきましょう。
衣笠祥雄 (きぬがさ さちお)
1947年(昭22)1月18日、京都市生まれ。
平安高校(現・龍谷大平安)では捕手として64年春夏甲子園出場。65年に広島入団。68年一塁手、75年三塁手に転向。
70年から87年に引退するまで前人未到、2215試合の連続試合出場を果たす。
通算2543安打(歴代5位)、504本塁打(同7位)、87年国民栄誉賞受賞。96年野球殿堂入り。
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