2012/07/29
真髄は自分で学び取るもの・・・
喫茶喫飯(禅語より)
修行して何年にもなるが・・・
今日、部屋にある禅の本を読み返していると、『喫茶喫飯』(きつさきつはん) の話が出ていました。
昔、竜龍(りゅうたん)という若い禅僧がおりました。
師匠について、朝早くから夜遅くまで、禅寺で修行をしています。
修行といっても、毎日毎日、庭掃きや洗濯をしたり、お茶をいれたり料理を作っている。
ですが、もう何年にもなるのに、肝心な禅については少しも教えてくれないんですね。
そこで、竜龍は痺(しび)れを切らせて、師に尋ねたのです。
「あの・・、禅の教えをまだ教えてもらっていないのですが・・、どうしてでしょうか?」
すると師匠は「喫茶喫飯」 と答えたのです。そしてこう言った。
「お前が茶を運んでくればおいしくいただき、食事を運んでくればそれもおいしくいただいただろう、それが教えだよ」
つまりこれは、お前に学ぼうとする気があるなら、ワシ(師)の日常の言葉や行動の中から禅の心をつかめたはずだ、というのである。
これは禅の世界に限らず、あらゆる芸や技の世界でよくある修行です。
手相鑑定は技術だけじゃない
私の『プロ手相家養成スクール』 の時にも、こんな事があります。
時々私は話が脱線して、手相や方位学に関係のない話が続くときがあります。そんな時に、まじめ?な人は手を上げて、
「先生、手相の質問いいですか?」 と引き戻そうとするんですね。
でも、私はその人に言うんです。
「手相の話しはいつでもします。それ以外の話しが大事なんですよ」、と優しくいいます。
手相がいくら見れたって、その手相鑑定の答えを出す精神や背景がしっかりしていなければ、意味がありません。普通の手相家じゃ意味がない。それも含めて伝授しているのが、私の手相スクールなのですから。
*といっても、手相は最高レベルの技術をしっかり伝授・指導していますので、ご心配なく。
という訳で、今日は禅的な お話でした~。