2012/05/14
手相は、いろいろな所で重用されている
今日は大阪の手相スクール・32期・月曜コースの3回目講座でした。
その中で、受講生のHさん(男性 47歳)から、次のような興味深い話を伺いました。
それは、最近Sさんが読んだ『彩雲のかなたへ』(田中三也著 光人社刊)の中の、一章の冒頭に書いてあった事についてでした。
その前に、著者の田中三也(たなか みつなり)氏のついてですが、氏は現在89歳、シナ事変、大東亜戦争(太平洋戦争)の時に空軍で活躍した飛行士で、本書はその当時の記録を著したものでした。
Hさんが私に見せてくれたのは、こんな内容の箇所。
本文をそのまま転載します。
<甲種飛行予科練習生(五期生)の一次試験が地方で行なわれ、学科試験と簡単な適性検査があった。私は昭和十四年の九月に一次合格の通知をうけ、大空への一歩を踏み出す手立てをつかんだのである。
予科練習部
私が予科練に入隊した時の年齢は、十五歳と十ヵ月で、いまでいう高校一年生の二学期だったから、まだまだあどけなさが残っていたかもしれない。
十四年九月、一次試験に合格した若者数百名が、全国から霞ヶ浦海軍航空隊の予科練習部へ集まった。
いよいよ飛行機乗りとしての適性検査の開始だ。二十種目ほどの試験が次々と行なわれ、種目ごとに判定が宣告され、不合格になるとそこで帰宅しなければならない。
最後に人相・手相の判定もあって、五百名が残り、最後の発表で二百六十名が合格となった。
実に厳しい試験であった。
(『彩雲のかなたへ』(田中三也著 光人社刊より)
かなりの競争率の予科練受験です。
ちなみに、予科練一期生の場合ですが、全国からの志願者5807名の中から、最後に79名が合格し・・と記録があります。
田中氏が合格した予科練五期生も、相当な競争率だった事は言うまでもありません。
その最後に人相・手相の審査ですから、本当に素質がある、優秀な人が選ばれたと思います。
という事で今日は、<手相は、色々な所で重用されている> というお話でした。
今日の更新時間・・・22:30
(昨日に引き続き、今日の大阪の手相スクールも、なかなか盛り上がった講座になりました。)