2012/02/9
思いの力は 運命を引き寄せる

今日、私は買い物をしたいものがあり、地下鉄に乗って出掛けました。
 電車に乗る前の私は、駅横のコンビニで新聞を購入するのが常です。何か面白い記事はないかな・・と。

 今日手にした新聞は”夕刊フジ”でした。
 その中に、一昨日の”自分の夢に意識を掛けよう”、というブログの内容に関連する、とっても分かり易くて面白い話が出ていましたので、皆様にご紹介します。
 (男性の読者の方の中には、お読みになった方があるかも)

 それは、大歌手・橋幸夫さんの連載「自伝 橋幸夫」の中の話。
 以下、紹介します。

       妻との出会い

 1971年、4つ年下の凡子(なみこ)と運命的に”空”で遭遇しました。
 彼女は中学生の13歳のときに出身地の熊本で初めてデビューしたばかりの私をテレビで観て、
 「この人と結婚すると思った」 と直感したというのです。

 やがて、それが現実になるのですから彼女には「霊感」があったのでしょうか。

 その後、上京した凡子はJALの国際線スチュワーデスになっていたのです。あるとき、彼女はホノルルー ロサンゼルスに乗務していました。後で分かるのですが、凡子は乗務員に病気か何かあった場合に臨時に勤務に就くスタンバイ要員でした。

 彼女の持ち場はエコノミーでしたが、私はファーストクラス。

 凡子は私のステージを観に来ることも無く、ファンクラブに入っているわけではありません。といってミーハーでもない。それでもクルーたちの中では凡子の「橋幸夫好き」は浸透していたのです。

 「担当を代わってあげる」。仲間の温かい友情でファーストクラスの担当になった凡子は、私の飲食サービスに就いたのでした。

 それでも彼女に対して特に関心は無くて、振り向いたときに後姿を見て「足がまっすぐで、きれい」 と感じた程度でした。

 私はロス経由でラスベガスに遊びに行き、数日後に再びロスー ホノルルのJALに乗ったところ、凡子が乗務していたのです。またまた乗務員にアクシデントが出て、スタンバイ要員の彼女がピンチヒッターで乗ったのです。

 この偶然に2人は驚き、機内での会話が弾みました。
 そしてワイキキのレストランに彼女を誘い、私の仲間と一緒に食事をしました。

 東京でのデートが始まり、2人は打ち解けていきました。

・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・

(注:西谷ー 当時2~3年の間ヒット曲が出ず スランプに陥っていた橋さんは、芸能界に見切りをつけようとまで落ち込んでいました。ある日デートで彼女に)

 「オレは芸能界に未練はないんだ」と話しました。

 てっきり反対意見を言うと思っていたら、凡子は

 「あら、それもいいんじゃない。歌手であろうが、何であろうが、私にとっては何も変わらない。男の人はいろんなことに挑戦してみるといいわ」

 と、あっけなく私の考えに同意したのです。

 この言葉に私はノックダウン。彼女となら、どんないばらの道も一緒に歩けると確信したのでした。
(夕刊フジ 2012.2.10.自伝 橋幸夫 より)

 という内容でした。
 凡子さんは、意識を掛け続けていたことで、(そうなるように)運命を引き寄せたのですね。2度も偶然が重なった出会いをしています。

 それにしても、奥さんは本当に橋幸夫さんが好きだったのですね。
 スターでなくなっても、別に関係なく好き・・というのですから。

 ところで、婚約後の橋幸夫さんですが、この結婚を期に、「子連れ狼」の大ヒットで2~3年のスランプから脱出。スター歌手の日々に返り咲きました。

 という事で、今日は <思いの力は 運命を引き寄せる> というお話でした。

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