2012/02/27
“あきらめない” 人に幸運が来る
今日は歌手・千昌夫さんのお話です。
この話を、夢を叶えたい人に贈ります。
この話の中に、皆さんが幸せになれるヒントが、きっとある筈です。
●幾多の苦難を乗り越えて・・
千昌夫さんは、本名:阿部健太郎。
岩手県陸前高田市出身の演歌歌手。
岩手県で育ち、歌手になろうと夢見ていました。
試練1.
そんなある日、占い師(ひどい占い師だが)に手相を見てもらったところ、「あんたは絶対歌手になれない!」 と言われたという。
普通ならここでショックを受けてしょんぼりするところですが、千さんは、
「オレはそれに腹が立って、絶対歌手になってやる!」 と逆に奮起した。
試練2.
次に、作曲家・遠藤実氏に弟子入りを懇願するも、断られる。そこで3日間、遠藤宅の玄関前に座り込みをし、ようやく弟子入りを許される。1965年の事。
試練3.
でも、1年以上経っても、遠藤先生はレッスンをしてくれなかった。
そんなある日、先生が
「お前はいつまで経っても扉の開閉が乱暴だ!」 と叱られたそうです。
以後 千さんは、開閉時には音を立てないように気をつけるように努め始める。するとレッスンを始めてくれたといいます。
(注:西谷ー 歌手は歌心が粗雑ではダメだ、という教えを、ドア開閉の動作に込めておっしゃったのでしょう)
試練4.
しばらく経って念願のデビュー。しかし発売したデビューレコードが全然売れず、そして2枚目もまったく売れない。
そして歌手生命をかけた3枚目を発売。これが売れなかったら歌手の夢は終わってしまうという、絶体絶命の窮地。
でもまた売れない・・。ところがです、3枚目のB面(裏面)に入っていた『星影のワルツ』が じわりじわりと有線でリクエストが来るようになり、流れ始める。
実はその間、千さんはずっと、自分のレコードを持って自分の足で宣伝して回っていたのでした。ある時は電車の中で客席を回り、一人一人に頭を下げ、
「この曲いい曲ですから 聞いてもらえませんか』、と言って回ったといいます。
(この話は、西谷が 千昌夫さんから直接伺う)
そのあきらめない努力の甲斐あって火が付き、『星影のワルツ』はミリオンヒットを記録する。
そして、1968年『NHK紅白歌合戦』に初出場。
●『北国の春』 も初めは全然売れなかった
遠藤実氏が作曲。いではく氏が作詞で書き上げた、<白樺~青空~南風♪> で始まるあの名曲。
1977年4月に発売するも、この歌も、初めは全然売れなかったのでした。
でも、決してあきらめない千昌夫さんです。
この曲を作詞した、いではく さんが回想する。
「千さんは、”この歌は、(陸前高田市・出身)の自分自身の実体験と同じ。だから、すぐ売れなくてもあきらめない。この歌はずっとおれが歌い続ける。” そういって、次の曲のレコーディングが決まっても、”今日は頭が痛くてダメ”とか、”のどが痛いから”と延ばし延ばしにして、歌い続けてくれたんです。」(いではく 談)
執念にも近い千さんの思いが通じ、1年半の歳月をかけて『北国の春』は大ブレイク! 見事 2枚目のミリオンセラーになったのでした。(1979年のこと)
こうして、一度ならずも、二度もミリオンヒットを手にした千昌夫さん。
どちらの曲も、もうダメだ~! という難しい状態からスタートして、最後は二度も夢を叶えたのですから、それは自分で運命を切り開いた という事です。
という事で今日は、<”あきらめない” 人に幸運が来る> というお話でした。
参考になれば幸いです。
P.S.
東北地方に「北国の春」が、一日でも早く戻ってきますように。
そして皆さんにも「最高の春」 が訪れますように。