2013/10/28
「笑っていいとも!」 が終了ですね。
<タモリさんの手相エピソード>

私の「笑っていいとも!」 レギュラー 出演時代の話

 10月22日の「笑っていいとも!」の本番中、タモリさん(68歳)が当番組の来年3月の終了を予告しました。

 1982年10月から、32年間続いてきた怪物番組が、来春で幕を下ろすことになると思うと、ちょっと寂しい気がします。

 私が「笑っていいとも!」にレギュラー出演していたのは、2005年の春~夏の水曜日でした。

 水曜日の当番組のレギュラーメンバーは、
 爆笑問題、杉田かおる、石原良純、品川・庄司、そして柴田理恵のみなさん、そして私・西谷泰人でした。

 当時の『いいとも!』の視聴率は12%と高く(現在は5~7%)、その中でも、われら水曜日が一番視聴率が高かったんですよ~。

 本当に楽しい番組でした!
 あの楽しさは、タモリさんのお人柄ですね。

  タモリさんが私に、両手を差し出して・・

 タモリさんとのエピソードはいっぱいありますが、拙著『占い師は運命の医者である』(創文刊)でご紹介した話を、ここでもう一度お話ししておきましょう。

 当時、「笑っていいとも!」の水曜日のメイク室には、私と杉田かおるさんが、いつも一番早く(朝9時半)に入っていました。そして二人並んでメイクをしていました。
 離婚騒動で時の人だった杉田さんから、いろいろな相談受けながらメイクをしていました。

 そんなある日、珍しく(早い時間帯に)タモリさんがメイク室に入っていらっしゃったのです。
 どうしたのかなと思ったら、私の所にいらっしゃり、両手を差し出して、

 「(西谷)先生、僕の手のひらにはバッテンがあるんだけど、人から『これは手のひらにバッテンがあるんで、ろくでもない手相だ』」と言われた。本当のところはどうなんかね?」(タモリさん)

 タモリさんは、誰かにそんなヒドイことを言われて、珍しく気にしていらっしゃったんでしょうね。真剣でした。私が、

 「この線はいい線ですよ! “神秘十字形”といって、先祖の加護が篤(あつ)く、神仏に守られている人で、どんな災難に遇っても守られ、必ず助かるという幸運な手相です」、と言うと、

 「あっそう、良かった!」

 そういって、嬉しそうな表情をされたのですね。それで、手のひらを眺めながら、ご自分の楽屋に戻って行かれたのでした。
 ヒドイことを言う人もいるものですね。

  タモリさんと私の、番組中のエピソード

 この時のタモリさんの手相に対する態度ひとつとっても、手相に大変興味を持っていらっしゃることが分かります。

 こんな事もありました。
 「いいとも!」の番組(生番組です)の中で、タモリさんがある時、 「西谷先生!僕の手相はどうでしょうか?」と、真剣に両手を出されたことがありました。(全く台本にない行動です)

 その時タモリさんは、持っていたマイクを落とすわ、台本も落とすわで、大慌(あわ)てをするシーンがありました。

 私に手相で、なんて言われるのか・・と夢中だったのですね。
 その時、品川・庄司の品川さんがこう言いました。

 「タモリさん、何を手相でそんなに慌(あわ)てているんですか。タモリさんほどの大物が!!」

  タモリさんの手相の特徴と、神秘十字形の話

 タモリさんの手相は、小ジワが全くなく、楽天的で、こだわらず、サッパリした性格の典型です。
 その手のひらの中央上部、知能線と感情線との間には、きれいな十字形(神秘十字形)がありました。

 このタモリさんの手にあった「神秘十字形」の説明を、もう一言付け加えておけば、この相のある人は、災難から守られるだけでなく、“思いがけない幸運”に会う人でもあります。

 では今から、福岡で無名な人であったタモリさんの、芸能界へのドアが開いた瞬間の、出来事を紹介します。
 こんな“思いがけない幸運”な出来事からでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 1972年(当時27歳)、森田一義氏(後のタモリさん)は、大分県日田市のボウリング場支配人をしていた頃、福岡で行われた渡辺貞夫のコンサートに大学時代のジャズ仲間がスタッフとして関わっていたことからコンサートを観に行き、ライブ終了後には友人が泊まっていたホテルの一室で、終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。

 いざ帰ろうとホテルの部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗くとゴミ箱を頭にかぶり、歌舞伎の踊りや狂言など虚無僧ごっこをして遊んでいる変な集団が目に入り、思わず乱入して、参加者だった山下トリオの中村誠一からゴミ箱を取り上げると、それを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。

 中村がその非礼をデタラメ朝鮮語でなじったところ、タモリがそれより上手なデタラメ朝鮮語で返したことからタモリと中村のデタラメ外国語の応酬になり、タモリが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。

 始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。

 後日「この男はジャズ・ファンに違いない」と確信した山下が、博多のジャズバーに「モリタ」という名前の男はいないかと片っ端から問い合わせた結果、とあるジャズバーで発見された。その後は山下トリオが九州に行く際に共に遊ぶ仲間となり、数多くの伝説を残し、山下のエッセイでしばしば取り上げられ、知る人ぞ知る存在となる。

 (ウィキペディア「タモリ」より抜粋)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 そんな出来事から、ジャズの大御所でピアニストの山下洋輔や、すぐ後に知り合う、漫画家の赤塚不二夫によって、猛烈な芸能界への売り込み大支援が始まったのです。それで”タモリ”の名が、有名になるのは時間の問題でした。

 という事で、強運・タモリさんの手相の話でした。


 *鑑定日記の感想や、新刊の情報をくださる方は、
 sobunnep@za.wakwak.com までお送りください。
 お待ちしています!

TOPページ