2011/08/03
愛知県で私は「学生易者」をスタート、
そして東京へ。真っ先に住んだのが
調布市・国領だった~
●19歳からプロの占い師になる
鳥取県倉吉市生まれの私は、19歳の時(37年前)に倉吉から愛知県の大学に進み、翌年20歳になるや、大学を中退。作曲家を目指し上京しました。
こう述べると、私には大学時代が19歳の1年間弱あったようにみえますが、実際は、その間ずっとアルバイトと、学生易者をやっていました。
学生易者というのは、
「こんにちは~、私は〇〇大学の易学研究会会長の西谷泰人といいます、占いはいかがですか?」 と、近所を昼間 一軒ずつ回って、奥様方の注文を取って来るというものでした。
それで当時、結構占いの注文を頂きました。
生年月日で占える四柱推命のごく基礎的な内容や、姓名判断で占いました。
考えてみれば、その時19歳で、私は鑑定料を頂いて占う、プロの占い師(学生易者でしたが)をスタートしていたんですね。<占い1種類500円。2種類で1000円でした>。
今のようにパソコンが普及していない時代でしたから、手書きで鑑定書を作りました。今から思えばヒドイ字でしたが・・。もし残っていたら、プレミア物かも~。(笑)
●翌年20歳で上京する。住んだのが調布市国領~
そして翌年20歳になって1ヶ月目の2月のある日、東京が吉方位になると同時に、ギターとカバン一つで上京しました。持ち金は、アルバイトと占いで貯めた30万円位だったでしょうか。
そうそう、熱田神宮(愛知県)にお参りしてから、上京しましたね。
なぜ熱田神宮に行ったか? それは幼い頃から鳥取県の我が家は、出雲大社(島根県)に元旦、家族みんなで毎年行くのが恒例だったので、この時も上京の志を告げに、一番近い有名神社として熱田神宮に行ったのでした。
・・・後から考えると、そこで祈った願い事は 全て叶っています。
上京後は、住むアパートも探していませんから、まずは渋谷駅前の今でもあるマイアミという喫茶店で一夜を過ごしました。そして翌朝、私はここがいいかな・・と愛知県で考えていた調布市に向かったのです。
そして、調布市国領(こくりょう)にアパートを見つけました。
風呂なしの、確か5万円ほどの6畳にキッチンが付いたアパートでした。
20歳で上京する時に、不安は何一つありませんでした。
夢と希望で胸がいっぱい。そして、「絶対、私は成功する!」と確信していました。
あの自信はどこから来るのでしょうね。青春っていいですね~。
東30度の吉方位(音楽関係で幸運がある)での上京だったので、その後、1年以内に作曲家として大きなチャンスを掴みました。
私の作曲家としてのデビュー曲「あの頃に帰りたい」を作曲したのも、そのアパート。当時一番の売れっ子作詞家 松本隆さんと出会え コンビで作ったこの曲は10万枚売れました。<この曲は、発売翌年に新宿音楽祭新人賞・受賞曲となる>
作曲と同時にやっていた手相の仕事が、その後ドンドン忙しくなり 今日に至るのですが、その話はここでは省略。
作曲と手相鑑定は、実は意外と似た職業なんですよ。(これもここでは省略)
何で今日、こういう話をしたかと言うと、
今週の土曜日8/6は、私が上京後、最初に住んだ調布市・国領での、書店フェア~!です。
37年前には書店なんてなかった場所ですから、現在 どんな街になっている事やら~。
という訳で今日は、私の人生の原点である、国領を少しでもよく知っていただこうと思い、この話をしました。
国領の書店フェア~。当日は私も書店に居て、皆さんにサイン、握手をし、2ショットを撮ります~。心からお待ちしています。