往年の大スター『舟木一夫』の名前は、
はじめ橋幸夫に付ける事になっていた名前だった
●初代・御三家の話~
皆さんは、一昔、いや二昔前の大スター歌手、”初代・御三家”をご存知ですか?
御三家・・・橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦ですね。
それに三田明さんが加わって「四天王」とも呼ばれて、人気を博しました。
余談ですが、その歌手・三田明さんは、私の手相の本で手相を勉強していたんですよ~。随分前の事ですが。(三田さんは私より7歳年上です)
近年では、作家で俳優の中谷彰宏さんが自身の著作の中で、「僕は、手相家の西谷泰人さんに手相を習っています」 なんて、記載が何冊かにあります~。
話が脱線しましたが、
その御三家の話をもう少し話せば、それはもう 超有名だった。
同級生の間でも、こんな逸話があります。
学校の社会の授業で、日本の歴史をやっていた時に、中島という男性の先生が、M子という女の子に、こう質問したんですね。
先生 「明治維新で活躍した人物わかりますか? 西郷・・」 と先生が誘い水を出すと、
女の子「はい、西郷輝彦で~す!」(と、思わず答えてしまった~ 笑)
先生 「違うでしょ、西郷隆盛です。好きなんだものね~」 と先生がM子をからかった、というね。
この先生も実は洒落(しゃれ)てるんですよ。というのは、当時の西郷輝彦の大ヒット曲に、『星のフラメンコ』 という曲があって、歌詞が、
<好きなんだけど 離れてるのさ遠くで星を みるように、好きなんだけど だまってるのさ 大事な宝 かくすように、君は僕の心の星 君は僕の宝 こわしたくない なくしたくない だから、好きなんだけど 離れてるのさ 好きなんだけど だまってるのさ … (そして最後に) 星のフラメンコ~~~チャチャチャ!> なんですから(笑)。
その後に、新御三家:野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹 となるのですね。
●橋幸夫が舟木一夫だったら、舟木一夫は・・?
それで、ようやく今日のテーマですが、
往年の大スター『舟木一夫』の名前は、はじめ橋幸夫に付ける事になっていた名前だったのでした。
作曲家の遠藤実が、弟子の橋幸夫(本名:橋幸男 読み同じ)の芸名として用意していたのが”舟木一夫”だったのでした。
ところが、橋さんは遠藤実の弟子から作曲家・吉田正の弟子になり、本名をちょっと変えて橋幸夫でデビュー。
ところで遠藤実さんは、舟木一夫という芸名を考えるに当たり、名前の”縁起”を担いだんですね。
芸能界には、左右対称で水に関係のある芸名をつけると大成すると言うジンクスが何故か長年ありました。それで、橋さんがいなくなり、新しい弟子の上田成幸少年に「舟木一夫」の芸名を名づけることになりました。
左右対称の名前はともかく、橋幸夫が舟木一夫だったら、世の中どうなっていたんでしょうね。舟木一夫が橋幸夫でデビューしてたかも、なんてね。(笑)
頭がグチャグチャになった所で、お後がよろしいようで ~~~。
P.S.前にもお話しましたが、西谷泰人は「左右対称」の名前なのでした~。そういえば、よくよく見れば泰の字、下が「水」でもありますね~(笑)。