知らない半同棲している男性から、 プロポーズされ、指輪、ネックレスをもらう夢 いつも鑑定日記、楽しく拝見しています。 昨夜、変わった夢を見て、お便りしました。 見たこともない、ニコニコした優しそうな男性と一軒家に住んでいて、半同棲しているようでした。 その男性から指輪を頂いて、プロポーズされましたが、その指輪が金で四角いエメラルド?のような(緑色の石)が付いていました。 しかも、少し錆びていたんで、古い物なんだと思いました。 更にもう1つ指輪らしき物もあり、直径三センチぐらいのシルバーリングに、プラスチックが半径だけ縁どられた指輪らしき物で、チェーンを付けてネックレスのように付けると言われました。 金の指輪の箱には紙のような鑑定証があり、本物なんだなって確認している私が……。 ちょっと気になったのでお知らせします。 現在私は、お付き合いしている彼がいます。 結婚は前提ですが、まだ先の事です。変わり過ぎた夢だったので気になりました。長文すみません。 (O.女性 独身) 西谷泰人の夢解説 この夢は、いろいろ意味深い夢です。 異性からプロポーズを受ける夢・・・ これは願が叶う吉夢です! 指輪をもらう夢・・・ 夢で買ったり、もらう指輪は、あなたの値打ちが高く評価されている事を教える吉夢。 独身のOさんの場合なら、近々幸運な結婚がある事を教えています。 金の指輪をもらう夢・・・ 夢で金や銀のものをもらうのは、大きな成功、幸運を教えています。 しかし金が少しさびているのは・・ 値打ちがある人(Oさん)なのに、今の状態が長引いて せっかくの幸運に成るハズの人生が さびていますよ、という事。 ネックレスをもらう夢・・・ ネックレスを買うか、もらう夢は、昔の恋人や、しばらく別れていた人との再会を教えています。 これらの夢を総合すると・・・ 1−昔の恋人か、古い知り合いからプロポーズを受ける事になるか、あるいは それらの関係者からの紹介で、結婚相手が近々決まる夢です。 2−もうひとつは、今の結婚前提で交際している(まだ結婚しそうにない)、恋人が急転直下、あなたに結婚を申し込んで来て、結婚する。 このどちらかでしょう。 どちらにせよ、Oさんの結婚が近いので、今交際中の男性が、事情でなかなか結婚しそうにないなら、その人は違う可能性が高いでしょう。 もしOさんが、30歳を超えている年齢であるなら、結婚は急いだ方がいですよ。 今日の更新時間・・・21:27
2012/6/2 先日、こんな夢を見たそうです。 もう1年以上連絡も取っていない兄が、急に我が家に訪ねて来た夢を見たというのですね。 珍しいな・・と思ったといいます。 それで、この夢はどんな意味ですか・・と聞かれました。 私はこうお答えしました。 西谷泰人の夢解説 兄が急に、我が家に訪ねて来た夢・・・ この夢は、夢で見たお兄さんの身の上に、何か問題が起こっている夢です。兄弟姉妹、誰が訪ねてきても同じく、その人たちの身に何か起こっています。 病気や事故、その他のトラブルetc....。 私はそう答えた後、Kさんに、ところでお兄さんの様子はどうですか? とお聞きしました。 Kさんの後日談 すると、Kさんはその夢を見た当日、夢が気になったので兄に電話を入れてみたそうです。 すると、 「腸の調子がしばらく悪かったんで、診察に行くと、大腸ポリープを病院で発見されたよ」、と兄。 それで、「あさって手術するんだ」、と聞いたそうです。 命には別状はないだろう、という事でホッとしました、とKさん。 夢の通り、お兄さんの身に起こった出来事でしたので、ご紹介しました。 今日の更新時間・・・22:30
2012/6/1 運がいい長嶋茂雄氏の、運の研究の続編です。 長嶋茂雄氏が、自分ひとりでやる場面の多い、いわば個人競技ともいえる野球においては、しっかり練習すればスランプはない!と言えるも、読売巨人の監督に就任してからの長嶋監督は、運に見放されたような場面が多く見られるようになりました。 優勝もなかなか出来ない。 自分一人出頑張っても、優勝は出来ないからです。やはり運が影響してくる。 そうなってくると、いい人材に巡り合い、選手が活躍して勝つとか、その他もろもろの要因が勝ち負けに絡んできます。だから「運」が大切になる。 低迷していた長嶋巨人が、11.5ゲーム差をひっくり返して優勝したメークドラマには、妻・亜希子さんの祈りがあった 今日はここで、巨人軍・長嶋監督の1995年のリーグ優勝の裏側を覗いてみましょう。 「メークドラマ」は1995年に低迷する巨人が、シーズンは中盤まで首位が広島東洋カープで、巨人は首位に最大11.5ゲーム差をつけられていたが、11ゲーム差で迎えた7月9日の対広島東洋カープ戦(札幌市円山球場)で、2回2死走者なしから9者連続安打で一挙7点を奪って勝ったのを機に、巨人の快進撃が始まった。 7月16日の対中日ドラゴンズ戦でチーム40勝を達成、その後もゲーム差を縮めていき、100試合目で首位に立った。 10月6日の対中日ドラゴンズ25回戦(ナゴヤ球場)で勝利し、巨人のリーグ優勝が決まった。 11.5ゲーム差をひっくり返し、ここに「メークドラマ」が完成した。 それで、私はこんな話を知っています。 長嶋監督の奥さんは、亜希子さん(2007年没)といいます。 長嶋亜希子さん・・・ 本名西村亜希子。1964年・第18回オリンピック東京大会では堪能な外国語を駆使してコンパニオンとして活躍。 その際、報知新聞主催の対談で当時巨人の三塁手だった長嶋茂雄が一目ぼれをし、1965年わずか4ヶ月目で結婚。茂雄29歳、亜希子22歳だった。2男・2女をもうけるなど、家族円満の生活を送った。 享年64歳。 亜希子さんは、信心深い所があり、夫である長嶋監督が優勝できるように、しょっちゅう神社にお参りに行っていらっしゃったのでした。 当時、私のよく知る女性Aさんが、関東にある、某神社にお参りに行くと、友人と参拝に来ていた亜希子さんの姿があったという。 それでAさんが、「長嶋茂雄とサインしてください」、とお願いすると、 「どうして私が茂雄さんのサインをしなくてはならないの?」と言って、笑いながらサインをしてくれたと言っていました。 その後も(亜希子さんを)何度も神社で見かけた、という話を聞きました。 時はメークドラマの起こった年のことです。 他に聞いた話でも、「亜希子さんの祈りで、今年は勝ち続けているのよ」、と連れだった友人が、他の人に語っていたのを聞いた、という人もいました。 長嶋茂雄氏の活躍の陰に、妻・亜希子さんの祈りがあったという事は、言うまでもないでしょう。 運のいい男性は、妻から運の補給を受けている、というケースがよくあります。 運の補給は、人から愛されている、人から祈られている、ということでも達成されます。 という事で、特別運のいい人には、やはり運のいい秘密があるのです。 今日の更新時間・・・22:29
2012/5/31 スランプなんて気の迷い。普段やるべきことを精一杯やって、土台さえしっかりしていればスランプなんてありえない。 ぼくはいつも、「オレは絶対打てる」 という気持ちでボックスに立っていますよ。 (『勇気がわいてくる世界の名言』 はまの出版刊 長嶋茂雄の言葉より) ここ一番の大舞台で、ヒットやホームランが出た、運がいい選手の代名詞でもあった長嶋選手。 有名なのが、天皇陛下が初めて観戦にいらっしゃった天覧試合で、2本のホームランを打ったなど。 試合の流れを具体的に紹介した方が、長嶋選手の強運ぶりがわかると思いますので、ここでご紹介します。 1959年6月25日、後楽園球場で「ジャイアンツ(巨人) 対 大阪タイガース(阪神)」 のいわゆる「伝統の一戦」が天覧試合として催された。昭和天皇・香淳皇后両陛下が後楽園球場のバックネット裏貴賓席にご来場なさり、19時より試合が開かれた。 この模様は日本テレビとNHKテレビで、全国生中継が行われた。 注・西谷ー 当時の出場選手たちは、全員が天皇・皇后両陛下の前でプレーできるという夢のような気持ち、そして、その緊張とで、大変だったと言います。そして日本国中が注目する歴史的一戦でした。 試合は巨人が藤田元司、阪神が小山正明の両エースの先発で始まった。両チームとも点の取り合いとなり、3回表・阪神が小山自らの適時打で先制点を挙げる。その後5回裏・巨人が長嶋茂雄と坂崎一彦の連続本塁打で逆転すると、6回表・阪神、三宅秀史の適時打と藤本勝巳の逆転本塁打で2-4とする。 7回裏・巨人は王貞治の本塁打(王と長嶋が同じ試合で本塁打を放つことを表す「ONアベック弾」の第一号)で同点に追いつき、阪神は新人・村山実をマウンドに送る。 同点のまま9回に入った時には21時を過ぎていたが、天皇・皇后両陛下が野球観戦できるのは21時15分までであったため、延長戦に突入した場合は天皇陛下は試合結果を見届けられず、途中退席になる可能性があった。 しかし、21時12分、9回裏、先頭バッターの長嶋がレフトポールぎりぎりに入るサヨナラ本塁打(結果、巨人5−4阪神)で接戦に終止符を打った。天皇・皇后両陛下は試合結果を見届けた上で、球場を後にされた。 長嶋茂雄の伝説の1ページです。 その長嶋選手は、「人の見ていない所で、彼ほど練習に励んだ選手はいない」 と言われていたという。 つまり この事から(今日の話も合わせ)分かるのは、 「運ではない。自分で精一杯やって掴むものだ!」 といって、自分でやれるだけの事をやって臨む者に、運は微笑む! ということです。 反対に、運だ、運だといって、自分の努力を怠る者には、幸運は微笑まない、ということです。 P.S. 私たちの場合なら、吉方位に行って、且つ (吉方に行った事も忘れて)自分で運を掴むぞ! と精一杯の努力もするなら、場外ホームランが出るでしょう! 今日の更新時間・・・21:40
2012/5/30 女性の皆さん、手相の運命線の勢いはどうですか? ちょっと前の女性週刊誌のカラーグラビアに、今年に入ってからの新作映画の完成記者会見に登場した、沢尻エリカさん(25歳)の右手がシッカリ出ていました。 彼女はエリカ様と呼ばれるほど、芸能界でもしょっちゅうドタキャンしたり、会見で憮然とした態度を取ったり、結婚した夫を振り回した挙句、離婚騒動を起こし未だにモメていたり、芸能界の大先輩や目上の人にも失礼な態度を取ったり・・・、ともう話題に事欠かない女性。 どんな手相かと思いきや〜? 思ったとおり、生命線の下部から、ものすごい勢いで中指付け根に向かう運命線の持ち主でした〜! 彼女の記事を書いた雑誌の記者も、記事内容の半分近くが、そのエリカ様の運命線のスゴサの話題でしたから、余程驚いたんでしょうね(笑)。 ページの見出しも、<エリカ様 ″我が強い″手相にも、らしさが全開!> でしたから。 そのページ、写真で撮ったエリカ様の手のひらなのに、生命線や知能線、感情線といった基本三線より3倍ぐらい太いんじゃないかって思うほどの勢いの運命線なんですから。 こりゃ、我がままで、自分が思ったように生きる、カカア天下の手相〜。 また、生命線の30歳ぐらいから開運線が、これまた中指の付け根近くまで上がっているのが見えます。 つまり勢いのある運命線(開運線を含む)が2本、上品そうな他の線にお構いなく、ドドーンと中指付け根に駆け上がっている〜。 知能線も生命線と離れ型〜 おまけに、知能線の起点が、生命線と離れ型です。 人がどう思おうと、全然気にしない〜。 人がビックリするような行動を、次から次とやる。 でも彼女にして見れば、 「ナゼ みんな私のやる事に、いちいち大騒ぎするの? 私はごく普通にやっているのに〜」、という感じ(笑)。 まだ若いので、気持ちが抑えられなくて暴走しているんですね。 お笑いの久本雅美さんも、すごい勢いの運命線ですけど、彼女は月丘から上がる人気運命線ですから、みんなから愛されるキャラで、面白い。 知能線も生命線とくっついて出発しています。人の目を気にする所はしっかりあります。 という事で、沢尻エリカさんは、我が強く、突拍子もない行動をしでかすけれど、全然「べつに〜」「驚くような事じゃないよ〜」、なのです。 今後の彼女のハプニングと、その時の態度に、注目ですね。 今日の更新時間・・・22:30 (今日はもう、夏のような横浜でした。)
2012/5/29 男性が乗った高級車が、家の前に止まる夢 毎日、鑑定日記を楽しみに読んでいます。 たくさんの学びが出来、最高です! 今日は夢のご相談です。 今朝、見知らぬ男性が乗った高級車が、我が家の前に止まる夢を見て目が覚めました。 ちょっとドキドキして目が覚めました。 私は現在、婚活中の28歳。 お見合いを、今年に入って毎月1度ぐらいのペースでしている状態です。 (まだ決まっていません) どういう意味の夢か、教えて頂ければ、と思い、お便り致しました。 (T.N.28歳 女性) 西谷泰人の夢解説 これはいい夢です。 では解説します。 夢に出てくる家・・・ これは現在の自分自身を象徴しています。 家の前に車が止まる夢・・・ 車のような人生があなたにやって来る、という知らせです。 家の前に見知らぬ男性が乗った高級車が止まる夢・・・ これは、あなたの人生をグレードアップしてくれる男性が現れる、という予告です。素晴らしい夢! まもなく、経済力のある男性が出現し、あなたにプロポーズして来るでしょう。 その他の車の場合は。 荷物満載のトラックが家の前に止まる夢・・・ これは、財運に恵まれるという吉夢。 霊柩車(れいきゅうしゃ)が家の前に止まる夢・・・ このまま行くと、身内に霊柩車のお世話になるか、身内に不幸な人が出るという知らせです。 ただし、(霊柩車が)家の玄関から少し先に止まれば、その分 難を減らす事が出来ます。また家の前を通り過ぎたなら難から逃れることが出来ます。 という事で、車やトラックなら家の前に来るのを歓迎し、霊柩車なら通り過ぎるか、玄関前に止まらないように、意識で動かしましょう(夢の意味が分かっていれば出来ます)。 という事で、T.N.さんの後日談を楽しみにしています。 そして皆様の夢に中にも、自宅前に大吉の車がやって来て停車する、そんな吉夢が登場しますように! 今日の更新時間・・・22:26 (今日の横浜は、晴れのいいお天気から、急に一転して大雨が降って来た、という面白い天気でした〜。)
2012/5/28 昨日の鑑定日記で紹介した、鳥取県倉吉市の実家に帰った話の流れで、私は一つ思い出した事がありました。 もう3年前の話ですが、倉吉に里帰りしていたとき、私は下の姉夫婦に連れられて、車で20分ほどの山間(やまあい)にある三朝(みささ)温泉の、ある食事処に行きました。 そこの店の女将は、30年も前から、私(西谷泰人)に興味を持って、こんな事を言っていたそうです。 「県内有数の優良会社〈N社・・・私の両親が創業した会社〉の約束されていた社長の座を捨ててまで、他にやりたい事があったのだから、よほどの事でしょう。ぜひ一度息子さんに会ってみたい」 37年前に、夢を追いかけ(家出同然に)上京した私に興味を持って頂けたとは、光栄なことです。 女将と会う そして、(3年前に)その女将と会ったのですね。 その日私は、女将の手相を観て差し上げて、人生相談をしました。 喜んで頂けたと思います。 一緒に店に行った下の姉の主人が、私の代わりに両親の会社を継いでくれて、そのお蔭で今の私がある。 私の現在を見て、 「これで良かったわ」、と女将。 そんな出来事を、今日はフト思い出しました。 私が両親の後を継いで社長をやっていたら、手相家・西谷泰人は存在しなかったし、みなさんにもお会いできなかった訳ですから、私の選択はベストだった、と思います。 今日の更新時間・・・22:30分。 (先ほど、鳥取→大阪の出張を終えて、横浜に到着し、このブログの更新をしました。) |
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