2012/06/05
こんな純粋な気持ちで、生きていこう

 今日は、フランスのアンドレ・マルローの言葉を紹介します。

アンドレ・マルロー・・・
 パリ生まれ。1926年にスペイン内戦に航空隊長として参戦。戦後フランスの情報相(45~46年)、文化大臣(58~69年)にもなる。

 1962年に、文化担当国務大臣として訪日、天皇陛下に謁見、岸信介総理大臣とも会見し、京都、奈良の古美術を鑑賞した。
 
 文学として『人間の条件』、美術論としては『空想美術館』が代表作であり、その他、数多い作品を残している。「文武両道」の代表的人物。
 アンドレ・マルローといえばヨーロッパでは、戦前戦後における文壇の巨人であるとともに、行動家でもあった。日本では三島由紀夫ときわめて似ている。

 それではここで、戦後、リヨン大学の客員教授であった長坂隆二氏が、パリ郊外にあるマルロー氏の家を訪ねたときにマルロー氏が語った言葉を紹介します。

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。それは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。

 スターリン主義者たちにせよナチス党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特攻隊員たちはファナチックだっただろうか。断じて違う。

 彼らには権力欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも偉大さへの志向を失ってはならないのだ。

 戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことを特に陛下に申し上げておいた。

 フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなに少ない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。

 『母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺(や)られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺(あや)められるのをだまってみすごせるものだろうか?』と。

 私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学をみるのである」

 (『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』 
   黄 文雄〈Kou Bunyu〉著 徳間書店刊 より)

 このような優れた日本の先達たちのお陰で、今の日本の国があります。
 ありがたい事です。
 この崇高な精神を受け継ぎ、日本の伝統や文化を守って行きたいと思います。

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